30代無職だったけどなんか働き出した

30代まで就職しなくても生きてこれた人の成長記録的な

就職するまでのおはなし①

相変わらず書くことがわからんけど、とりあえずブログタイトルを回収せねば。

どんな流れになりそうかな。

入り直した大学でADDが発覚するお話

家族が無理解だったお話

精神死んでたら瓢箪から駒で社員になった話

てな感じの構成でいこうと思います。

ちなみにこのブログは全体的に出来の悪いアフィリエイトサイトみたいなデザインになってますけど、それは私がわりとそっち寄りのお仕事をしているからです。

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mohamed HassanによるPixabayからの画像

入り直した大学でADDが発覚するお話

私は初対面の集団で心を開くのがめちゃくちゃ苦手な人間でして。

一対一だと割と話せるんですけど、集団の中になるとダメなんですね。
自分を見せちゃいけない、みたいな。

何を怖がってんだか( '_')

まぁそんなわけでクラス替え後に友だちを作るのとか絶望的に苦手です。

入学式とか死のイベントですよね。

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Axel SchäferによるPixabayからの画像

……さておき。

両親や周りの支援あって大学に入り直したはいいんですが、座って講義を受けるという行為に絶望的に適性がないのが注意散漫持ちでして。

yuk2.net↑これめっちゃ面白いすね。茶化しパート多すぎですけどw

ちなみに、脳科学的には耳からの情報頭の情報の処理速度に差がありすぎると私みたいになるらしいです。

私の場合は頭の処理能力の方が何段階か高いので、講義を聞いている間にガンガンほかごとを考えてしまって、知らず知らず「聞いたこと」より「考えたこと」の方が優位になって、気がついたら授業を聞いてなかった、ていう状態になるんだって。

「いやいや頭の方が速いんだから頭が合わせろよ!」って思うんですが(フュージョンするときのトランクスみたいにね)、バルブがぶっ壊れてる人間にそういう調整は難しいみたいですね。

(このペースで喋ってたら話が就職までいかねぇことに気づいたけど、まぁいいか)

さておき、そんな頭だったのでテスト前は理解してないレジュメの山

友だちなぞという上品なものは持ち合わせておりません。

わりと自習には向いている脳ではあるんですが、いかんせん大学の専門科は量が膨大過ぎて、計画が立てられないAD(H)Dにこなせるレベルではない。

まぁそんな感じで単位がポロっと零れ。

ガチガチの専門学科だったので零れると進級できず。

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Gerd AltmannによるPixabayからの画像

……まぁ今は障害傾向とか自分の特性とか知ってるのでこれだけ軽く書いてますけど、当時は本当に自己嫌悪で死にそうでした。

普通に考えたらただ怠けてるだけですからね。

いろんな方に支援や理解をいただいて、それでサボってこれか、と。

こんな人間生きてる価値ないですよ。何人分の信頼を食い潰しててめぇは生きてるんだ、と。

病院行けと教授に怒られた

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CANDICE CANDICEによるPixabayからの画像

後述しますけど私の両親は発達障害にこれはもう驚くほど理解がなく。

私も二十ウン年間お前は怠け者だの、あとはテメーが変わるだけだ、だの言われ続け、
まぁでも親の言うことって本当に大きいですからね。しかも実家、なんと精神科ですからね。

反発しつつも心の底では「やっぱオレがダメなんだろうな、なんとかしたいけどどうすればいいんだ」なんて思ってたのです。

あーぁボクちゃんカワイソ。

(真面目な話、障害に無理解な両親の元に生まれると本当に不幸だなと思います。
私自身の話じゃないんですけど、診断ガッツリで一目で自閉症ってわかる子どもに、それでも大学行かせなきゃこの子は生きられないとか言ってる両親がお客さんとして来たことがあって本当に不憫でした。

ガチ障害持ちの子に「大学行かせなきゃ生きられない」って、それって「死ね」と同義ですよ?

とは仕事なんで言えなかったですけど。)

ダラダラと大学生活(講義は聞いてない)を過ごした末に、生徒指導室的なところに呼び出されまして、その教授がちょうど脳科学の専門家さんで、

「自分でももっとちゃんとしたいと思ってるけど、どーしたらいいかわからない。

でもそっち専門の父曰く病気じゃないらしいんで診断は受けてない」

と伝えたら

「バカヤロー。早く病院行け」

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Darko StojanovicによるPixabayからの画像

で、行ってみたらさっきの脳の構造のお話とか、自分のバルブのぶっ壊れ具合とかを知ったわけです。

ちなみにそんな病院になぜ通わなくなったかというと、約2週間かけた心理検査の末に

「(無職)さんは他人に自分の内面を見せるのを極端に怖がるところがあるようです。悩みを人に打ち明けるのが苦手です。

なので、できるだけ自分から相談するようにしましょう。」

というどこの学級委員??というアドバイスをいただいたのが一番の理由だと思います。

あとは薬代ですね。

ADHDの薬って普通に処方されると月3万とかいきます。

それでいて障害者の診断くれないから一般診療だし障害者枠で就職もできないんですよ?

その薬代を稼ぐための社会生活ができねーからこっちは来てるんだよ!!

……てことで、普通に考えて通院続けるのムリでした。

両親が発達障害に理解がなかったお話

かといってあのタイミングで障害者判定もらってたら障害者として開き直ったクソヤローが一匹焼き上がっただけだと思いますから、あれで良かったんでしょうね。

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Holger LangmaierによるPixabayからの画像


さて、家庭のお話。

私の実家は心理系の専門であったので、「おまえは精神病じゃない」とことあるごとに伝えられ続けてました。

ひとつめの大学をやめるときに、「自分は普通じゃない。なんとかしたいと思ってるけどどうにもできない」という相談をしたときに、

「おまえは普通だ。どうにもできないんじゃない、おまえがおまえの意思で変わるしかない。」

とまぁ、専門的見地を加えて話されたのが決定的で。

そこからはずーっと自分を否定し続けるスパイラルです。
別に自分の停滞は両親が原因とか言いたいわけじゃないんですけど、多少はそう思わないとやってられない部分もあります。

さて、そんな根っこがバカヤローで覆され、三者面談して俺がそのオヤジ説教してやるよ」とまで言ってくれて、なんだか救われた思いもしたりしたんですが、

そうは言ってもお金が無限に降ってくるわけではなく。

最後の時は訪れました。

実は最後の1年間、けっこうがんばったんですね。

苦手な人の輪にもすげー無理して、周りにヤな顔され(てると思い込んでるだけかもしれんが)ながら入っていって。

出たくない授業にも薬飲んで耐えて出て。

休学期間中はフルタイムで仕事して。

休学開けたら収入減る分夜のバイト増やして。

追い打ちとばかりにけっこう長く付き合ってた子にフラれて。

間違いなく私にとって人生で一番つらい1年でした。
(書いてみると意外と大したことないことに気づいたけど、それが大したことに思えるくらい辛かったんだろうなぁ)

そんな1年が、ほんのちょっとの失敗でダメになっちゃったんですね。

そうじゃなきゃ適性がないなりに頑張れる自信はあったし、実際もうちょっと大学に通うことはできたんですが。

こんな思いをしてもう1年同じことをする気力がなくて、やめました。

やりたいことやるならテメーの金でやればいいじゃん、と、やっと気付けました。

晴れて無職の完成です。

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Kevin SchneiderによるPixabayからの画像

ただし、ADHDは金銭管理もできません。
復学したかったら自分の金で、なんてすっぱいブドウもいいとこですけど、それでもあの1年を繰り返すよりずっとマシです。

あぁ今思い出してもダメですね。

毎晩明日の朝生きているのかわかんない状態で寝て、大学ダブっててヒマだから重宝されてるバイト先の朝シフトのためだけに起きて、たいてい夜まで働いて、また寝て……

疲れてボーっとしてて、今夜寝ぼけて気まぐれに首吊るかどうかの判断もつかくて。
そのくらい明日を生きる意味が低下してて、テキトーにライン送ったら返事くれるびみょーな距離感の友人がすごく大事で。

担当のお客さんが常にいるタイプのバイトだったのも辛うじて精神を繋げてくれてたと思います。

ド底辺の仕事したら優秀だった件

文量がやべぇ。

絶対就職話まで行けないのを悟ったので、余談を書いて終わろうと思います。

続きを書くかどうかはよくわかりません。継続適性ゼロなんで。

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rawpixelによるPixabayからの画像

ダブって休学してた約1年間、清掃業という世間的には忌避されるタイプの肉体労働をしてました。

いちおう大学に関わりのある現場ではあったんで、働きつつ自分を見つめ直そうとか思ったんですね
(こんな思考をする時点で「あるべき」に縛られてるんですけど、当時の自分はそんなことに気づくはずもなく。)

そんな現場仕事をしてたら、なんか私は優秀な人材でした。

肉体労働って意外と頭使うと効率上がるんですよね。
それであっという間に使える側に回りました。

もしよかったら次の資格試験受けて現場まとめないか的な誘いがきました。

いやいや私なんて大学中退の最終学歴高卒で、歳とってる分だけタチ悪いでしょ?って言ったら「その大学に入った頭が優秀」とか言われました。
いやいや、あんたの言うその「頭」がおかしいから今こんなとこで仕事してんのに。

でも、ド底辺の現場仕事でも人間味は優しく広がってました。

マジで学歴とか滅びろと思いました。

でも、この生活は続けたくねぇなと思いました。
当時の現場仲間マジでごめん。

本当に自分は嫌な人間だと思います。
でもまぁね、清掃業で一生食っていこう、って人間はいないよ。実際ね。

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Stefan KellerによるPixabayからの画像

そうやって「じゃぁ現状変えるなら就職するしかねぇか……」なんて思ってたらポッとひょうたんから駒が降ってきた感じです。

よくツイッターとか見てると、「学校やめたい」とか「就活は闇」とか聞きますけど、
いや私は大学出てないし就活は5分で終わったんで偉そうなことを言う資格はないのかもしれないですけど。

やめれば良くないですか?

あなたが歩いてるそのレールは、「人生上り坂街道超特急」でしかなくて、その列車を降りてもあなたは歩けるし、超特急の先にある、いわゆる中上流階級に行くことが人生じゃない。

電車を降りて歩く人生が果てしなく辛くひたすら苦しいことは否定しません。
どう考えたって上り坂を超特急で上がれるならその方がいい。

でもそれが出来ない人だっていっぱいいる。
出来ない人がたまたまあなたの可能性もある。

自分で自分の首を絞め続けた人生。
何年もクソほど悩んで結論が出なくてまた悩んで、金銭的にも恵まれなくて、でも私は人生それ自体がクソだと思ったことはないです。

夜ション感覚で無意識に首吊る怖さに怯えるほど生の価値が下がっても、それでも思ったことはないです。

いや、キレイごとが言いたいんじゃなくて、
むしろ「生きてりゃいいことある」とか言う人は一回死んでみればいいと思ってます。

そうじゃなくて。
毎日マズいメシ食って、50円で売ってる砂の味がする缶コーヒーみたいな据えた匂いのする心を抱え込んで。

それでも一瞬の快楽は死に優ると思います。
その一瞬のために、つらいつらいと毎日アイデンティティを削られながら生きればいいと思います。

矛盾してるけど、そんな人生も意外と辛くないです。

半身がなくなった私のアイデンティティを支えてくれた肉体労働の現場とか、
「バカヤロー」と私の思い込みを砕いてくれた大学の先生とか。

自分が出会いに恵まれたとは思わないけど、(いやある意味出会いに恵まれた人生だなと思うけどそれはちょっと別の話で)人生の岐路で自分を支えてくれる人は案外ゴロゴロいるので。
そんな人たちのおかげで、私もなんとか今日まで生きてます。

クソみてーな辛い人生で、一瞬の楽しみのために身を削るように生きてるけど、ただ寄せる波に流されるしかない砂浜のお城みたいなどうしようもない人の心の苦しみを、わかってあげられる人間になれたのは良かったと思います。

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Stefan KellerによるPixabayからの画像

今はまだできないけど、そんな砂浜で身を削られる人を、さらりと掬ってやわらかい土に戻してあげる仕事を、そのうちしたいなーなんて思ってます。

それをやるにはお金がいるんですけどね。

そんなわけで私がいま一番大事なのはお金です。

いい感じに次回の就職編に向けてお金の話にまとまったところで、今日はさようなら。
(次回が就職編とは言っていない)